【歴史的瞬間】マケドニアが国の名前を変える。その理由は?

こんばんは。

こんなニュースが飛び込んできたので、ちょっと調べてみました。
※私は世界史を履修したことがないので複雑怪奇すぎました。

ギリシャとマケドニア、痛み分け 「地域優先」で2国間合意を承認

そもそもマケドニアって何?


マケドニアというのは、東ヨーロッパのヴァルカン半島中央部の地域を指す言葉です。

現在は、ギリシャ共和国がおおよそ50%、マケドニア共和国が40%、ブルガリア共和国が10%ほどを占めています。周辺のアルバニア共和国やセルビア共和国の一部地域を含むこともあります。

マケドニア人とはどこの国の人?


これそのものが議論の対象になっています。
マケドニア共和国は単一民族の国ではないのですが、その半数以上はマケドニア人であるといわれています。
そして、マケドニアと呼ばれる地域に暮らす人の中には、自身の国籍がどこであってもマケドニア人だと思っている人がいます。

ギリシャにとってマケドニアは特別な存在


かつてマケドニア王国という国がありました。
この王国は、ギリシャ人が建国した国で、マケドニア王国のほとんどは現在のギリシャ領となっています。
かのアレクサンダー大王で有名な王国です。
そして、現在のギリシャにもマケドニアという地名が残っています。
そうした歴史的な背景もあって、今でも、ギリシャに暮らす人々の中には“マケドニア”に特別な意味を見出す人がいるのです。

名称論争のはじまり


1991年、ユーゴスラヴィアの崩壊に伴い、独立国・マケドニア共和国が誕生しました。
この際に、ギリシャから抗議がありました。

マケドニア共和国側・・・

・国名に「マケドニア」を使用
・公用語を「マケドニア語」に設定
・マケドニア王国の象徴であった、ヴェルギナの星(ヴェルギナの太陽)を国旗とした
・憲法に「周辺国に住むマケドニア人の権利を擁護する」という文言を盛り込んだ

⇒⇒⇒

ギリシャ側・・・

・ギリシャ領のマケドニアを併合しようという野心を抱いているのでは?
・ギリシャが持つマケドニア王国の歴史を奪われるようで不愉快だ
・古代マケドニア語はギリシャ語だったという説もあるのに(マケドニア語の成り立ちは議論中)

ギリシャの抗議


ギリシャは、マケドニア共和国に対して禁輸を始めとする経済制裁を行ったり、国際連合や、EU、NATOに加入することを反対したりとさまざまな制裁を課してきました。

また、ギリシャの人々は、マケドニア共和国を、決してマケドニアと呼ぶことはなく、“マケドニア共和国”や、FYROM、あるいはスコピエなどと呼んでいます。
FYROMとは、The Former Yugoslav Republic of Macedoniaの略で、旧ユーゴスラヴィア マケドニア共和国を意味します。
スコピエとは、マケドニア共和国の首都です。

マケドニア共和国の返答


ユーゴスラヴィアから独立したばかりのマケドニア共和国が、国際連合加入を拒まれたり、隣国から経済制裁を受けるというのは大変な事態です。
結局、国際連合から提案された“旧ユーゴスラヴィア共和国 マケドニア共和国”の名称をしぶしぶ受け入れることに。
また、国旗を改め、憲法で言及したマケドニア人に関する記述も改めました。

このことで、1993年には国際連合に加盟することができました。
また、国際社会からの非難もあり、ギリシャが1994年2月に始めた金融制裁も1995年10月頃までには終了。

しかし、その後もギリシャの反対によりNATOやEUに参加できず・・・。

マケドニア共和国は、新しい国名としてニューマケドニアや、スラヴマケドニアなどの様々な提案をしてきました。
けれども、マケドニアを入れることが気に入らないギリシャはすべて拒絶してきました。

20年以上にも及ぶ激闘の末に・・・。


マケドニア共和国は、時には国際司法裁判所に訴えるなど国際社会に向けて発信し続けてきましたし、両国は長年に渡って話し合いを続けてきました。

そしてついに、雪解けの状態に。

2018年6月にはプレスパ湖で、両政府の間でプレスパ協定が結ばれました。プレスパ湖とは、バルカン半島のギリシャ、アルバニア、マケドニアの三国にまたがる2つの淡水湖の総称です。

プレスパ協定では、こうしたことの取り決めがありました。
・新しい国名は、北マケドニア共和国にする
・お互いの国が指す「マケドニア」という言葉や「マケドニア語」は違った背景を持つことを再確認
・マケドニア共和国の公共の場においてヴェルギナの星(ヴェルギナの太陽)を使用しないこと
・両国の教科書や地図から、irredentist(民族統一主義者)に関わる内容を見直すために委員会を作ること

2018年11月には12年ぶりにギリシャからマケドニア共和国に航路が開かれました。

ギリシャではデモが相次ぎましたが、

2019年1月、ついに、両国とも、議会において、国名を“北マケドニア共和国”に変更することを認めることで可決。

変更実施については、まだ保留中のようですが、いずれ国名が変更されることでしょう。

今後の展開は?

マケドニア共和国が北マケドニア共和国になることで、EUや、NATOに加入するかもしれません。

国際社会の状況も変わることでしょうね。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする