【名付け】恕 は名前に良い字?悪い字?

恕 という字が名前に入る人がいますが、どのような印象がありますか。

そもそも恕とはどのような意味のある字なのでしょうか。


総画:10画
音読み:ジョ、ショ
訓読み:ゆるす
名付け:くに、くみ、しのぶ、ただし、のぶ、のり、はかる、ひろ、ひろし、ひろむ、みち、もろ、ゆき、ゆるす、よし

《意味》
1.自分を思うのと同じように相手を思いやる。思いやり。
2.ゆるす。自分に引き比べて見て、他人を寛大に扱う。また、同情して相手をとがめずにおく。

《解字》
会意兼形声。如は、汝(自分とペアをなす相手)と同系のことば。自分と同じような対者という意味を含む。恕は「心+恕」で、相手を自分と同じように見る心のこと。

(漢字源より抜粋)

意味
①「おもいやり(その人の気持ちを自分の事のように考える事)」
②「いつくしみ((目下の人やおさない子をかわいがって大事にする事)」
③「おもいやる」、「いつくしむ(慈)」、「あわれむ(かわいそうに思う)」
④「ゆるす(許)」、「思いやって許す」

成り立ち
会意兼形声文字です(如+心)。「両手をしなやかに重ねひざまずく女性の象形」(「素直でおとなしく人の言う事をよく聞く女性」の意味)と口の象形(「神に祈る」の意味)」(「神に祈って素直な女性」の意味)と「心臓」の象形(「心」の意味)から、「思いやりの心」を意味する「恕」という漢字が成り立ちました。

読み
音読み:「ジョ」
訓読み:「ゆる(す)」
※訓読み⇒()の中は「送りがな」

名前(音読み・訓読み以外の読み):
「くに」、「しのぶ」、「ただし」、「のり」、「はかる」、「ひろ」、
「ひろし」、「ひろむ」、「みち」、「もろ」、「ゆき」、「ゆるす」、「よし」

画数
「10画」

部首
「心(こころ)」

https://okjiten.jp/kanji2448.html

この字の意味は、人を思うように相手を思うこと。

漢字というのは古代にできたものなので、成り立ちについては諸説ありますが、如はもともと柔和にしたがうとか、おとなしく人のことをよく聞くとか、そのような意味合いがあって、そこに心が付いておもいやりを意味するようになったとも言われています。

恕は、人名用漢字です。

第二次世界大戦後の1948年頃に、日本人の名前に使うことのできる漢字に制限がかかるようになりました。ただし、苗字や、既に付けられた名前については規制の対象外です。現在、日本人の本名(下の名前)に使うことのできる漢字は、常用平易とされる常用漢字と人名用漢字に限られています。

恕が人名用漢字に追加されたのは1990年のこと。

つまり、日本人で本名に恕の文字を持つのは苗字がそうであるか、1948年より前に生まれたか、1990年以降に生まれたか、改名したなどの特殊な事情を持つ人です。

恕は常用漢字ではなく、普段そう使わない字なので、難しい字に当たります。もしかすると、この字の存在さえしらない人がいるかもしれません。ただ、比較的簡単な漢字の組み合わせなので、女の横に口、下に心と分解するか、カンジョのジョといえばわかりやすいかもしれません。

この字は、論語に見られます。論語とは思想家の孔子の発言や行動などを孔子の死後に弟子が書き表したものです。孔子は恕が大事であると言ったとされています。

江戸時代に幕府が論語を推奨したこともあり、かつては恕という字はよく名前に用いられていました。しかし、現代では名前に用いられることはそう多くありません。見た目が怒に似ていると言われること、名前に使いにくいことなどが原因のようです。音読みのジョを使うというのもなかなか難しいですし、名乗り読みは多数あって、有名人の名前でもユキであったり、ヒロであったりとさまざまで、初見では読みにくいです。

ただ、恕の意味は決して悪いものではありません。

恕が付く言葉

恕が付く言葉に、

かいじょ【海恕】

海のような広い心で許すこと。海容。

(広辞苑第五版より抜粋)

かんじょ【寛恕】

1.度量広く、おもいやりの深いこと。
2.ひろい心でゆるすこと。

(広辞苑第五版より抜粋)

ちゅうじょ【忠恕】

まごころとおもいやりとがあること。忠実で同情心が厚いこと。

(広辞苑第五版より抜粋)

など。

恕を名前に持つ有名人

日本

男性

○仁済宗恕(にんさいそうじょ)
1434年~1519年。臨済宗妙心寺派の僧。

○真里谷 恕鑑(まりやつ じょかん)
?~1534年。上総国の戦国大名。

○覚恕(かくじょ)
1522年?1515年?~1574年。天台宗の僧侶。
後奈良天皇の皇子。

○林 鵞峰(はやし がほう)
*名は恕・春勝。
1618年~1680年。幕府の儒官。

○堯恕法親王(ぎょうじょ ほっしんのう)
1640年11月29日~1695年。皇族・僧。
後水尾天皇の第十皇子。

○松岡 恕庵(まつおか じょあん)
1668年~1746年。儒学者・本草学者。

○垣内 重恕
*読み方は不明。
1717年~1788年。豪農。

○相馬 恕胤(そうま もろたね)
1734年~1791年。大名。
相馬氏第24代当主。陸奥相馬中村藩第8代藩主。

○松平 忠恕(まつだいら ただひろ)
1740年?1742年?~1792年。大名。
下野国宇都宮藩2代藩主、肥前国島原藩初代藩主。

○河野 恕斎(こうの じょさい)
1742年~1779年。儒学者・漢詩人。儒者として肥前蓮池藩に仕えた。

○有馬 氏恕(ありま うじよし)
1761年~1783年。大名。
伊勢西条藩の第5代藩主。

○池田 治恕(いけだ はるゆき)
1765年~1781年。
因幡国鳥取藩の世嗣。

○岩城 隆恕(いわき たかのり)
1765年~1817年。大名。
出羽国亀田藩7代藩主。

○松平 頼恕(まつだいら よりひろ)
1798年~1842年。大名。
讃岐国高松藩9代藩主。

○諏訪 忠恕(すわ ただみち)
1800年~1851年。
信濃高島藩の第8代藩主。

○松平 頼胤(まつだいら よりたね)
1811年~1877年。大名。
讃岐国高松藩10代藩主。

○長谷部 恕連(はせべ よしつら)
1818年3月10日~1873年。幕末の福井藩士、明治初期の政治家。

○大岡 忠恕(おおおか ただゆき/ただのり)
1822年~1880年。大名。
武蔵岩槻藩藩第7代藩主。

○富澤 政恕(とみざわ まさひろ)
1824年12月21日~1907年。富澤家15代当主。

○松平 忠恕(まつだいら ただゆき)
1825年~1902年。大名。
上野国小幡藩4代藩主。

○林 忠恕(はやし ただひろ)
1835年~1893年。建築家。

○香月 恕経(かつき じょけい/ゆきつね)
1842年~1894年。幕末の医師、明治期の政治家。

○星合 常恕(ほしあい つねのり)
1842年~1875年。徳島藩権大参事。

○戸田 忠恕(とだ ただゆき/ただくみ/ただひろ)
1847年~1868年。大名。
下野国宇都宮藩第6代藩主。

○児玉 恕忠(こだま じょちゅう)
1849年8月22日~1923年。幕末の長州藩士、明治期の陸軍軍人。

○秋山 恕卿(あきやま ちかのり/じょこう)
*恕郷とも。
1850年7月26日~1921年。
幕末の犬山藩士、明治期の内務官僚、明治・大正期の実業家。

○後藤 恕作(ごとう じょさく)
1858年4月19日~1929年。実業家。

○薄 恕一(すすき じょいち)
1867年1月24日~1956年。医師。

○徳川 義恕(とくがわ よしくみ)
1878年11月1日~1946年。陸軍軍人、侍従、男爵。

○青盛 恕一(あおもり じょいち)
1879年11月2日~?。商人。

○大城 朝恕(おおしろ ちょうじょ)
1888年~1939年。空手家。

○末綱 恕一(すえつな じょいち)
1898年11月28日~1970年。数学者。

○山桝 忠恕(やまます ただひろ)
1922年~1984年11月13日。会計学者。

○橋本 恕(はしもと ひろし)
1926年4月7日~2014年。外交官。

○金関 恕(かなせき ひろし)
1927年11月19日~2018年。考古学者。

○米里 恕(よねざと ひろし)
1928年5月10日生まれ。旧 大蔵省銀行局長。

○西村 恕彦(にしむら ひろひこ)
1935年3月15日~2019年12月23日。情報工学者。

○加藤 恕彦(かとう ひろひこ)
1937年7月4日~1963年。フルート奏者。

○安藤 忠恕(あんどう ただひろ)
1941年3月9日~2010年。政治家。

○筏津 安恕(いかだつ やすひろ)
1950年~2005年。法学者。

女性

◇徳永 恕(とくなが ゆき)
1887年11月21日~1973年。幼児教育者、社会事業家。

海外

○袁 恕己(Yuan Shuji)?~706年。
唐の政治家。

○郭 忠恕Guo Zhongshu
929年頃~977年。中国北宋の画家。

○王 恕/Wang-Seo/왕 서
?~1212年。襄陽公 王恕。第20代高麗王の王子。

○王 夢恕(Wang Meng-shu)
1938年12月24日~2018年。中華人民共和国の鉄道技術者。

など。

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