シンデレラが成功したのは当たり前?



シンデレラストーリーという言葉があるけれど。

シンデレラはゼロからのサクセスストーリーではない。

シンデレラは名家に生まれたお嬢様。

王子様と結婚しなくてもある程度の年齢になれば、それなりの家の男性と結婚したに違いない。

なぜ名家の生まれかとわかるかといえば、宮廷に招かれているから。

中世の一般庶民の女性が宮廷に呼ばれるかといえば、たぶんありえない事態。

その辺の一般女性がいきなり宮廷に呼ばれて王子と接見できるのかと考えればまずないこととわかる。

招待されてお近づきになることが許されるということは名家のお嬢様ということだ。

そして、そういう家のお嬢様がたまたま王子に見初められたというだけ。

英国のキャサリン妃がシンデレラストーリーなんて言われていたけれど、全くのゼロからのスタートではなかったという点ではシンデレラと同じ。

キャサリン妃はいわゆる上流階級の生まれではない。これは親が貴族ではないという意味。
しかし、中流階級のお金持ちのお嬢様。

キチンとした教育を受け、王子と同じ大学に行き、そこで王子と出会い、結婚に至った。

もちろん中流階級の生まれであることから文句を言う人もいる。

日本でいうと、旧華族の生まれではないけれども、親がお金持ちで一般的にはお嬢様と言われる人が、皇族の男性と結婚するのと同じだろうか。
民間の出なんていうけれど、庶民とは一線を画す人。

この“育ち”というものはなかなか超えられない壁だと感じる。

イギリスでは、今も根強く階級意識が残っていて、上流階級、中流階級、労働者階級を分けるのは文化だという。
話し方や、立ち居振る舞いで言わずともわかるらしい。

中流階級の人があたかも上流階級の人のように振舞うと気取り屋と嫌われてしまうそうな。


最近、上流階級の人とはプリンセスとはと考える。

プリンセスになりたくてこういう本を読んでいたけれど、プリンセスというのは難しい。

女性の在り方というものを考えさせられる。

昔は玉の輿に乗ればもうそれが幸せとされたけれど、実際にシンデレラが幸せな女性かなんてわからない。

シンデレラは結婚してそこで終わりだけど、そこから先どうであったのか。
嫁姑問題が勃発したかもしれないし、王子と結婚したのだから跡取りを産むように強要されたかもしれない。

結婚はスタート地点に過ぎない。でもそこで“めでたし”となるのが中世の考え方なんだろう。

この時代の女性は、結局男性によって人生が良くも悪くも変わってしまって自分では動けない。

現代の女性は玉の輿に乗ることが幸せなんだろうか。何が幸せなんだろうか。

ムーランのような女性もカッコいいけれど。

フワフワしたお姫さまでいたいし、自立してもいたい。グラグラする。


シンデレラストーリーというけれどシンデレラはゼロからのスタートではない。しっかり地盤があった。

本当の意味でゼロからのスタートで王子と結婚するのはよっぽどハードルが高い。

そしてそこから先のことが大事だ。

どう生きるのか?

それは見識広げて探し続けるしかないのだろう。

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